最近の教育では、「子どもの自主性を大切にする」「本人に選ばせる」という考え方をよく耳にするようになりました。
私自身、この方向性には基本的に賛成です。
大人がすべてを決め、言われた通りに行動するだけでは、自分で考えて動ける人にはなりません。
ただ、その一方で、ずっと子どもたちと接してきて感じることがあります。
「自由にさせること」と「自主性を育てること」が、少し混同されていないだろうか。
ということです。
「やる・やらない」を選ばせれば自主的なのか
たとえば、
「参加してもいいし、参加しなくてもいい」
「宿題をやってもいいし、やらなくてもいい」
「今日はこれをやってもいいし、何もしなくてもいい」
こうして本人に決めさせれば、一見すると子どもの意思を尊重しているように見えます。
しかし私は、それだけで「自主性を育てている」とは思いません。
なぜなら、
選択できることと、自分で考えて行動できることは、同じではないからです。
自主性とは、単に好きなものを選ぶことではなく、自分で目標を持ち、考え、その結果にも向き合いながら行動していく力だと思います。
私は「何もしない」を選択肢にはしない
ロボット教室でも、子どもたちにはできるだけ自分で考えてもらいます。
ロボットの形も、プログラムの作り方も、課題の解決方法も、一つではありません。
「こう作りなさい」
「このプログラムを入力しなさい」
と最初から答えを渡してしまえば、確かに早く完成します。
でも、それでは考える必要がありません。
だから私は、なるべく答えを教えません。
ただし、
「やってもいいし、何もしなくてもいいよ」とはしません。
ここは大きな違いです。
課題はあります。
目標もあります。
時間にも限りがあります。
その枠の中で、
「どうやったらできるだろう?」
「この方法がダメなら次はどうする?」
「どこを変えたらうまくいく?」
と、自分で考えてもらいます。
つまり、
「何をしてもいい自由」ではなく、「どうやるかを考える自由」
を、できるだけ子どもに渡したいのです。
自由には「枠」があっていい
「自主性を尊重する」と聞くと、大人が指示したり、ルールを作ったりすること自体が悪いように感じることがあります。
しかし私は、自主性とルールは対立するものではないと思っています。
教育研究でも、子どもの自律性を支えることは、学習意欲や主体的な参加、自己調整などと関係することが示されています。
一方で、自律性を支えるだけではなく、
・目標を示す
・ルールを明確にする
・必要なときにはヒントを出す
・進んでいる方向を確認する
・フィードバックを与える
といった「構造」を与えることも重要だとされています。
つまり、
適切な枠があるからこそ、その中で自主性を発揮できる。
私はそう考えています。
「強制」と「枠を作ること」は違う
もちろん、大人が何でも決めて、
「黙って言う通りにやりなさい」
と従わせる教育に戻ればよい、という話ではありません。
本人の気持ちを無視して命令することと、成長のために必要な環境を大人が用意することは、まったく違います。
たとえば、
「勉強しなさい」
だけではなく、
「今日は、この3つの中から一つ選んでやってみよう」
ならどうでしょう。
何をやるかは子どもが選べます。
しかし、
「何もしない」は選択肢にはありません。
私は、このくらいの枠があってもよいと思っています。
まだ経験も知識も十分ではない子どもに、すべての判断を委ねることが、本当に本人のためになるとは限らないからです。
最初から全部任せるのではない。
できるようになった分だけ、任せる範囲を広げていく。
これが本来の自立への道なのではないでしょうか。
子どもが自転車に乗るときと似ている
自転車を覚えるとき、最初から、
「好きなように乗ってごらん」
とはしません。
危険な場所には行かせない。
最初は大人が支える。
転びそうになれば、必要に応じて助ける。
でも、いつまでも後ろを持ち続けていたら、一人では乗れるようになりません。
だから少しずつ手を離します。
教育も同じなのだと思います。
枠をなくすことが自主性なのではなく、大人の手を少しずつ離していくこと。
そのためには、最初に支える手が必要なのです。
「選択させる教育」から「選択できる人を育てる教育」へ
私は、これからの時代、子どもの自主性はますます重要になると思っています。
特にAIが当たり前になる社会では、誰かから指示された作業を正確にこなすだけではなく、
「何をするべきか」
「なぜそれをするのか」
「どうすればもっと良くなるのか」
を自分で考える力が必要になります。
だからこそ、子どもに選択肢を与えることは大切です。
でも、教育の目的は、
「好きなものを好きに選ばせること」ではないはずです。
選んだ結果について考える。
うまくいかなければやり直す。
面倒でも必要なことに取り組む。
時には、やりたくないことにも向き合う。
そして、少しずつ自分で判断できるようになる。
そこまで含めて「自主性を育てる」ということなのではないでしょうか。
私は子どもたちに、自由を与えたいと思っています。
ただしそれは、
「何もしなくてもいい自由」ではなく、
「自分で考え、自分で選び、自分で前に進める自由」です。
大人の役割は、子どもの前からすべての壁を取り除くことではありません。
乗り越えられる高さの壁を用意し、必要なときには支えながら、最後は自分の力で越えさせること。
そんな教育を、私はこれからも目指していきたいと思っています。
皆さんは、「子どもの自由」と「自主性」をどこまで同じものとして考えていますか。
参考
・OECD:学習者の主体性・自律性に関する資料
・自己決定理論(Self-Determination Theory)に基づく教育研究
・自律性支援と学習環境の「構造」に関するメタ分析
・UNICEF:子どもの発達に応じた自律と大人のガイダンスに関する資料