明治3年、明治政府は、フランス人の生糸検査技師ポール・ブリューナに製糸場の計画書の作成や建設場所の選定と建設、製糸指導を任せました。ブリューナは、良質な繭が確保でき、土地や水、燃料等が確保できる富岡を工場建設地に選びました。
建設に必要な木材や石材は県内で調達し、瓦やレンガは県内の職人が製作して和洋折衷の建物が完成し、明治5年に日本で初の本格的な模範製糸工場として操業を開始。以来、昭和62年まで115年にわたって操業を続けました。
富岡製糸場は、高品質な生糸の大量生産を実現した技術革新、日本と世界の技術的交流の歴史的な価値が評価され、平成19年、荒船風穴、田島弥平旧宅、高山社跡とともに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、ユネスコの世界遺産暫定リストに登載され、平成24年7月、国の文化審議会でユネスコへの推薦が承認され、平成26年の登録をめざしています。